秋川の氾濫。報道されない「災害」は、存在していないとでもいうのか。

台風19号で、秋川が氾濫した。

秋川? どこそれ? たとえ東京に住んでいる人でも、そんな反応が大半ではないか。
秋川は多摩川の支流だ。人口が多い多摩川や浅川の水位は即座にニュースになったけれど、30分に1本しか電車が来ない、限りなく山梨に近い「東京」に流れる川の話は、誰も話題にしなかった。
視聴率が取れないもの、報道されないものは存在していないのか。
お年寄りの多い地域だ。いまだに情報はインターネットよりもTVに頼っている。避難勧告が出ても、「TVで報道されていないから」と渋る声も多かったと聞く。
報道されないことの弊害は一つだけではない。
秋川は現実に氾濫した。防災あきる野からの放送を私はこの耳で何度も聞いた。しかしその間にtwitterでは、大手メディアによる報道が無いからというただそれだけの理由で、「秋川の氾濫? デマじゃないの?」という残酷極まりない放言が飛び交っていた。その数も一つや二つではない。
真偽を確かめずに「デマじゃないの?」と軽口を叩くその神経は、本当に死にかけている人を殺す嘘そのものだ。
水位計すら濁流で壊れた。そんなことは水位「ゼロ」という異常な数字を見れば判る。人を殺しかねない放言を垂れ流す時間があるのならば、なぜ一次ソースを見ない。

「秋川の氾濫はデマ」という人を殺すデマ

読むに堪えなかった。同時にスルーしたら自分も同罪だと息が苦しくなった。皮肉な話だ。デマの拡散は犯罪なのに、「デマじゃないの?」という無責任な災害救助活動の邪魔は放置されるわけか。そう思うと心が冷えた。
詳細は長くなるので割愛するが、私はDV・ストーカー対策の支援措置を市と警察に申請し、継続的に認められている立場だ。そんな人間が、自分の所在を明かすことに葛藤がないわけがない。それでも、もしも自分が被災した側で、限られた電波で藁にもすがる思いでリアルタイム情報へアクセスした時、「被災なんて嘘じゃないの?」という言葉を目にしたら、どんなに悲しいかと思ったらやりきれなかった。
私はあきる野市在住だ。
秋川渓谷を抱く、自然豊かな「東京都」の外れに、今もいる。
台風19号が日本列島を直撃した10月12日、市内では昼間から何度も避難勧告の放送が流れていた。消防の出動のけたたましいサイレンも聞いていた。TV報道ゼロ、インターネット上では「氾濫はデマ」とまで言われていても、川は氾濫した。

市内での避難状況と、報道、そしてインターネットで作り出される架空の「現実」とのギャップ

そもそも秋川は、網代弁天山の観測登山で、この足で渡り、この目で流れを見つめ続けてきた川だ。激しさを増す雨と、この数年で一度も経験したことがない深い霧が山全体を覆い尽くしていくのを間近に鳥肌が立った。
氾濫しないわけがないと。
頼りにするべきは、自分の五感だ。
そんな当たり前のことを、しかし社会全体が忘れつつあるのだと恐ろしくなった。フェイクニュースが蔓延する昨今、偽装できるものは文章だけではない。「津波」ですら精巧なCGで作り出すことができる。だから、「デマではないか?」と疑いたくなる気持ちも解る。この混沌の時代への、一種の適応なのだろう。
しかしそれと引き換えに、五感を捨て去ることは正しいのか。
そのことに関しては疑問を呈したい。関わったことすらない土地へ、まるで娯楽か暇つぶしのように「デマじゃないの?」と、デジタルな文字を放り投げることは必要なのか。

幸い、市内では早々に避難勧告が打たれた。地名に「川」の字が入っているだけのことはある。こうした水害は長い歴史で想定内なのか、避難所は全て高台に設置されていた。
言うまでもないが、来たこともない報道陣や、twitterで見かけるまで「秋川」という言葉すら知らなかった赤の他人よりも、地元は正確に被災状況を把握している。
人的被害だけは、ゼロだった。

災害大国の現実

これが、陸の孤島の現実だ。
30分に1本しか電車が来ない地域の住民から言わせれば、正直、最初から国の助けはあまり期待していない。
それでも目に余るものはある。
現与党は防災費用を削り続けている。
災害大国において、何よりも拡充せねばならない予算を。
芸能人を招いての首相の花見には税金から5700万も無駄遣いしておきながら、今回の台風被害への拠出はわずか7億。
7憶で何ができるというのか。
福島の田村では、原発事故の除染ゴミが川に流出した(※1)
未曽有の台風が来ると解っていながら、シートをかける程度の準備すらしていなかった。それを環境相の小泉進次郎は「問題ない」と言う(※2)
全国的に避難所はいまだに体育館だ。プライベートの仕切りすらなく、女性や子どもはいつ性犯罪が起きてもおかしくない状況にいる。それが2011年の東日本大震災から今に至るまで進歩していない。補足すると、世界的には(東アジア諸国でも)、避難所はファミリーテントで区切られるのが常識になりつつある(※3) 唯一、長野県上田市だけはこのテントの使用を試みたらしいので、他の自治体も続いていって欲しい。
一方で、台東区は命の選別をした(※4) ホームレスの人たちだって消費税は払っている。なのに住所がないという理由だけで避難所を訪れた人を台風の中へ放り出した。もはや認めるしかないが、日本の人助けランキングは世界最下位だ(※5)
片や新聞に記載されていた首相の一日は、「終日公邸で過ごす」と一行、人が死んでいようと優雅なものだ(※6)
災害後の報道も酷いものだった。新聞の見出しは『「もう堤防には頼れない」、国頼みの防災から転換を』(※7) そこらの新聞ではない、日本経済新聞の見出しだ。
まるで水害までもが自己責任。
いったいこの国は何に税金を使っているのか。

報道されていなくても、存在する。

そのことを何度でも、声をあげていきたい。
2018年3月1日に交通事故に遭って体が動かなくなった。引っ越し先を探している最中、担当の不動産営業マンに事故を起こされたもので、私は不運だった。
加害者は無傷。
私は左肩甲骨周辺と、右耳に後遺症が残った。
そんな中、最初にリハビリで登った山が網代弁天山だった。標高292メートル。富士山の一合目よりさらに1000メートル以上もやさしい山。秋川渓谷の入口にひっそりと佇むこの山に、何度も、何度も、本当に何度も、数えきれないくらい助けてもらった。最初は50メートル登るだけでも痛かった。それが「ああ、綺麗だな、楽しいな」と思えるようになるまでに半年以上かかった。地元の人と挨拶を交わした回数は一度や二度ではない。4月21日の貴志嶋神社の御開帳にも参拝した。農家のおじいさんがトラックの窓から、「おいでよ」と明るく声をかけてくれたからだ。
そんな場所が氾濫で悲鳴をあげている時に、「デマじゃないの?」と軽口を叩く人たちがいる。
悔しくて泣いた。
鬼なのか。
血も涙もないのか。
あの人たちに、あの山に、一つの恩も返せないで何が人間だと自分自身に対しても思った。
所在を明らかにしたことは、後悔していない。

末筆ながら、被災した方々に心からお見舞い申し上げると同時に、私も出来ることをしていきます。
どうか1日でも早く、穏やかな日常が戻りますように。

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