「表現の不自由展・その後」の感想。秋川渓谷から、あいちトリエンナーレへ足を運んで(1)

台風19号が来てしまうと焦りながら、新幹線に飛び乗って愛知県へ向かった。10月8日に全ての展示が再開した、あいちトリエンナーレ2019を観るために。
結論から言うと、観てきてよかった。胸を抉るような生々しいキュレーションだった。
ネットの情報は当てにならないし、足りない。
現地で痛感した。

「おい聞けよ下民どもが!」

愛知芸術文化センターに入る前に、拡声器で罵声を吐き続ける男性に遭遇。栄駅4番出口付近、交差点での出来事だ。横断歩道を渡っていざ会場へ入ろうとすると、「おいそこ聞けよ! 下民が!」と聞くに堪えない罵詈雑言で阻害される。皮肉な話、「表現の不自由展」の再開に反対している層がどういった人たちなのか、おおよそ察しがついた。
まず(私にとっては)大事なことだが、展示を見るも見ないも、チケットを買った個人の自由。それを邪魔しないで欲しい。
「俺の気に入らない『自由』を謳歌するヤツは許さないし、そいつからは『自由』を剥奪しても構わない」というモラハラを間近で目の当たりにして絶句した。ここまで分かりやすい権利侵害もない。対話の成り立たない暴漢からのクレーム電話殺到で、スタッフの方がどれだけ消耗したかと思うとぐったりした。警察への通報だけでも一苦労だったろう。
しかしなんというか、モラハラ男性も含めて前座というと語弊があるけれど、「表現の不自由展・その後」への導線としてはこれ以上ないほどのストーリーだとも感じた。下世話ながら、『「表現の不自由展」に反対する人物像・モラハラ男性・拡声器・2019年』とでも立て看板でキャプションを付けたくなるような構図だった。
不快だし怖かったのだけど。

「NOW OPEN AGAIN」

翻って、ひとたび会場に足を踏み入れれば、紳士淑女の多さに安堵した。若い人が多いことも好印象だった。
一番嬉しかったのは、やはり作品の多さ。
「表現の不自由展・その後」の展示再開に伴い、世界中の作家も「NOW OPEN AGAIN(展示再開)」という形で立場表明をしたのだけれど、これには胸を打たれた。
というのも、あいちトリエンナーレ2019の作家の中には、自国に戻ればその思想傾向から逮捕されかねない人もいる。念のため言うが、彼彼女らは決して危険思想の持ち主ではない。ISやシリアのアサド政権など残虐な暴政からすれば、民主主義的な信念のほうが邪魔という話。「検閲」で投獄される同胞が後を絶たない国から、命懸けでここ日本へ作品を持ち込んだ作家からすれば、萩生田光一文部科学相による補助金打ち切りは目を疑う愚行だったのだろう。声明を読んで痛感した。
日本が、祖国の地獄に重なって見えていても仕方ない。
言い方を変えれば、ISやシリアのアサド政権と比べても、それを彷彿とさせるレベルまで現与党が堕ちたということ。
作家陣が、公権力による芸術への介入に断固として反対するのは、検閲(国が認めない表現は取り締まる)が始まれば、最後は戦争へ突入する(戦争を阻止する表現も取り締まられる)という過程を、「身を持って」知っているからに他ならない。

あいちトリエンナーレ2019は、報道されない人々の叫びだ。

地元が報道されなかったことで、私の中でいっそう重要度が増した。
ジャーナリストの津田大介氏が監修に入った展示会は、今まで見てきたどんな美術展よりも、どんな博覧会よりも、国際政治色が濃かった。現代アートは難解に感じるものも多い中、あいちトリエンナーレの作品群の主張はシンプルだった。

私たちは存在する。
知れ。
見殺すな。

世界中の「叫び」を浮き彫りにした生々しいキュレーション。
作品のテーマでパッと思い出せるだけでも、シリアから逃げた難民、コンゴ共和国で拉致された旅行者、トランプの移民政策で親と引き離された6歳のメキシコの子ども、スペインの入植で殺されたペルーの原住民、15歳から年単位で投獄されたアメリカのティーンエイジャー、イギリスの入管による強制送還、台湾の軍事演習、インドで迫害に遭っているトランスジェンダー、韓国の少年兵、交通事故で亡くなった日本の子どもたち、原子力、そうした噴出する「表に出てこない存在たち」のほんの一角に、平和の少女像が、静かに、そっと膝の上に手を置いて座っていた。

「表現の不自由展」が、反日プロパガンダであるわけがない。

私は混乱した。
この状況を、どうやったら「反日プロバガンダ」だの「自国ヘイト」だのという意味の分からないレッテルを貼ることができるのか、と。
身も蓋もない言い方をすれば自意識過剰だ。
前記の通り、取り上げられていたのは日本だけではない。これは行かなければ実感できないことだったが、愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、円頓寺四間道、そして豊田(豊田市美術館、旧豊田高校、豊田市内)と大きく四つもの会場を贅沢に使っているうち、物議を醸した「表現の不自由展」は、12F建ての文化センターの8Fの片隅でしかなかったのだ。
そもそもあいちトリエンナーレ2019はコンセプトを「情の時代」とし、世界中の分断へ情け(優しさ)をもって立ち向かおうと表明している。つまり、あいちトリエンナーレを「反日プロパガンダ」とすることは、世界平和のために戦う人々を描いた映画から悪役の台詞一行だけをあげつらって「有害作品だ!」と指摘するくらい無理がある。
第一、「平和の少女像」は悪役ではない。

「表現の不自由展・その後」の実際

抽選倍率15倍

すでにニュースになっている通り、あいちトリエンナーレ2019の動員数は65万人、過去最高。そして「表現の不自由展・その後」の観覧希望者の抽選倍率は15倍だった。これだけの数の人が、「本当のことを知りたい」と自分の足で動いたのだ。そのことに感嘆する一方、人気の展示の抽選に当たるだろうかと不安もあった。
幸い、奇跡的に1回で当選した。

同意書の記載、身分証の提示、荷物確認、金属探知機を通ってからの観覧

「表現の不自由展」の作品はSNSでシェアすることができない。
あいちトリエンナーレはほとんどの作品の写真撮影・シェアが許可されているけれど、一連の脅迫や逮捕騒動からか、8Fの平和の少女たちはインターネットから隔絶されてしまった。
それでも、確かに存在していた。
以下、印象に残った3作品を記録しておく。

『平和の少女像』

キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻の作品。
大人の私が座ると、肩の位置すら揃わなかった。座高だけでも頭一つ分は小さいのではないかと思うほど、あまりにも頼りなく、あどけない少女の横顔がすぐ傍にあった。理屈抜きに込み上げてくるものがあった。口汚く罵っていた拡声器の男性は、果たしてこの少女を自分の目で見たのだろうか。
これだけは断言する。自分の体であの椅子に座り、隣で少女の顔を見て、それでも「汚い」などと暴言を吐ける人がいるとすれば、その人は人間ではない。
人間の皮をかぶった鬼だ。
私が目にした少女像は、文字通り、あまりにも普通の少女でしかなかった。
観覧者の中には、隣でそっと手を握る女性や、少女よりもさらに小さな6歳くらいの女の子もいた。高校生くらいの若い少年が、キュッと唇を結び、真剣な表情で座っていたことも印象的だった。
何を感じたのか聞いてみたかった。

私は、平和の少女像が好きだ。
近所の公園にあったら、きっとたまに出かけて行って、隣に腰かけて話をしたろうと思う。
友達になりたかった。

『遠近を超えて』

大浦信之氏の作品。
「天皇を燃やした」という断片的な情報だけが一人歩きし、バッシングされている。けれど私に言わせれば、あの映像は、むしろ天皇を「燃やせなかった」作品だ。
動画撮影が禁じられていたから、記憶した内容を以下に記す。

最初に映るのは昭和天皇の肖像、それを含むコラージュだ。
燃えている。
誰かが、バーナーで燃やしている。その手元が映る。
少女だ。少女が燃やしている。
肖像は燃えていくけれど、全ては燃えずに、瞳が残る。
当時は神の扱いを受けていた昭和天皇だが、この瞳だけを見れば、どうしたって「ああ、人間だ」と感じる。
人が燃やされてしまった。

靖国神社の絵が映る。
そこで軍神に祭り上げられた兵士たちが映る。
兵士たちは隊服姿だ。航空機を操縦していた制服に、ゴーグルも着用したそのままに、神に祭り上げられ、気炎をまとっている。
人間の姿のまま、嚇怒した神に成っていく。
神格化した兵士の足元には、真珠湾で殺したのかもしれない頭蓋骨が転がっている。
私は異様な図だと感じる。人間が、人間の輪郭を保ったまま炎をまとって神になる。靖国がそういう場所だと知識として把握はしていても、実際にビジュアル化されると異様以外の何物でもないと感じる。本能的に、「これはおかしい」と気色悪さを覚える。
しかし次のカットで、少女が映る。
少女は海辺で、切々と母への手紙を語る。
自分も従軍看護師として戦場へ行く。きっといつか靖国で会えるだろうと口にする。
先ほどの軍神には気色悪さを覚えた私も、この約束を悪いものだとは言い切れない矛盾に、複雑な感情になる。当時は、靖国での再会が唯一の希望だった。
しかしそれを、敢えて書くが、そんなものを、唯一の希望にせしめた戦争という政治手段には憤りを覚える。
悲しみを覚える。
それしか希望がなかったのかと。

再び、昭和天皇の肖像が映る。それを含むコラージュだ。
燃えていく。
それでも、最後に瞳が残る。
その瞳だけを見れば、どうしたって「ああ、人間だ」と思う。
人が燃やされてしまった。

場面は変わる。
きっと時代も変わったのだろう。
海辺に、いつかの少女がいる。茫然と歌っている。
彼女の背後にはドラム缶が並んでいる。ドラム缶は爆発し、ポーンと空へと舞い上がる。何度も、何度も、あっけなく。
そのドラム缶の残骸に、少女は燃え残った1枚の写真を見つける。
四辺が焼けた、赤ん坊の写真だ。

再び、昭和天皇の肖像が映る。それを含むコラージュだ。
燃えている。
少女が、燃やしていく。
焼けただれた赤ん坊の写真と対比するように、天皇を燃やしていく。燃やし続ける。
もう瞳も残さない。
全て燃やして、炭まで足で踏みつける。

けれど私は共感しない。
感じるのは切々とした悲しみだ。
こうやって人は一線を越えてしまうのかと。
どんなに理性的で、最後の最後まで耐え忍び、靖国で会おうと約束を交わし、その約束を信じ、順守し、瞳を残し続けた人間でさえも、一線を越えていく。

それでも、と私は思う。
燃やしてはいけない。
どんなに憎くても、連鎖させてはいけない。
燃やしてはいけなかったのだ。

少なくとも、私の心に芽生えたのはそうした「感想」だった。
恐らく、あの場にいた35名の観覧者も、なんとも言えない後味の悪さを感じたのではないか。笑みを浮かべた人はゼロだった。
この作品を、「天皇を燃やす(燃やせ)」という文脈に捉えているのはどういう人たちなのか、疑問が募る。

強いて難点を挙げるとすれば、津田大介氏があいちトリエンナーレの告知動画の中で当該作品に触れ、「二代前の人だから、もう昔かなって」と軽口を叩いてしまったことだろう。
戦争のテーマから考えても、「昔」にしてはいけない。
むしろ語るとするならば、燃やされたのが「昭和」天皇だったというところだろう。やたらと「陛下を燃やしている」と憤っている国民が多いけれど、「昭和」天皇は、現在の(日本国憲法の)天皇制における象徴とは全く性質が異なる。第二次世界大戦時に国家神道(※神道ではない)で「神」と崇められ、この「神」のために死ぬことを強要された人が何万人もいた、という点だ。
映像で燃やされているのは昭和天皇だけれど、昭和天皇のために燃やされた国民が何万人もいたのだ。
それを知らずに「陛下を燃やしている」と憤るのは早計だし、知った上で憤っているのならば、戦争被害者への同情はないのだろうかとやはり疑問が募る。

その上で、私は、この作品が好きではない。

なんというか、表現が安直だしチグハグなのだ。なぜドラム缶なのだろう? それが人間の死を暗喩しているというのは見た瞬間に分かるけれど、ここまで露骨なテーマを選んだのならば、戦没者だけ婉曲表現にしなくてもと一貫性のなさを感じる。TPOなのだろうか? 入場規制もかかっているし子どもも見るからなのか。だとしても、観ている側に「え? あれ? なんでいきなりドラム缶?」と思わせてしまった時点で水を差しているような。
色彩は鮮やかだし、派手だし、外国人受けは良さそうだ。
逆に言えば奥ゆかしさがない。ストーリーの軸に忍耐を据えて「それでも」燃やす葛藤を描くならば、奇抜というのはむしろ相性が悪い手段だ。また大変失礼ながら、予算の関係なのか、映像のクオリティーが低い。AmazonプライムやNetflixに慣れてしまい、今年エミー賞リミテックス部門を受賞した『チェルノブイリ』などの圧倒的映像作品の存在も知っている世代からすると、どうしても安っぽさは感じてしまう。大金をかけたものが良いと言っているのではなく、ここまでジャーナリズム色を濃くするのならば、そうした作品も視野に入れた上で制作しないと気迫で負けるというか、小手先の学芸会作品のように感じられても仕方ないのではないか。

『気合100連発』

アート集団Chim↑Pomによる作品。
「被爆最高!」という言葉だけが取り上げられてバッシングされているけれど、叫んでいるのは被爆者当人。ボランティアも立ち入れない高濃度汚染区域で、若者たちが瓦礫の撤去をしながら、円陣を組み、胸の内を100回連続で吐き出していく。
被爆最高、
被爆最高、
被爆最高、
そう叫ぶのは100回目も間近だ。字幕も叫びも伏字となり、その伏字へ重ねるように円陣を組んでいた別の若者は「ふざけんな!」と叫ぶ。
この作品を、文字通りの「被爆最高」という文脈に捉えるのはいったいどういう人たちなのだろうと疑問が募る。
作品への好悪は出せない。テーマを考えれば軽々しく「好き」と言えるわけがないし、嫌いはもっとありえない。高濃度汚染区域に体を張って立ち入り、叫んでいる若者を前に、嫌いなんて言えるわけがない。

ネットの情報は当てにならないし、足りない。

twitterを筆頭とするSNSは、自分に都合の良い情報だけを切り取り、断片的に抜粋して流す傾向がある。しかし読み取らなければならないのは文脈だ。そう信じたい。「細切れにされる」ことを前提に作らなければならない時代なんて辛すぎるからだ。

個人的に最もヒットした作品は今書いたものの中には無いので、それはまた別記事にしたい。
一番ワクワクと心が躍ったのは、子どもたちが作った段ボールの街だ。

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