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魚上水(うおこおりをいずる)

こんにちは、紅龍堂書店(くりゅうどうしょてん)の久利生杏奈(くりゅうあんな)です。

昨日はバレンタインで触れそびれたのですが、今日はもう立春も末候。「魚上水(うおこおりをいずる)」という季節に入っております。
現在の二十四節気七十二候は明治七年の『略本歴』ないし、それを現代語訳したもの(紅龍堂書店は後者を紹介しております)が多いですから、風情がある一方で、季節感には隔たりを感じるのも実際です。「魚上水(うおこおりをいずる)」は湖や川の氷が割れて、魚が跳ね回る様子を意味しますが、今年は暖冬でしたからね。そうした場面は日本で――あるいは世界でどのくらい見られたのかしらと少し考え込んでしまいます。他でもない紅龍堂書店も山の麓にあるのですが、今年は、川は凍りませんでした。氾濫はしましたが……;
七十二候は、六世紀に中国華北地方から伝わって以来、時代や風土に合うようにフレキシブルに編纂され直してきました。個人的には、そろそろ新しい版が出てきても不思議ではないのかしらなどと思っています。
とりわけ今の日本で、立春に「梅」という言葉が入っていないことが不思議なのですよね。『略本歴』以外の七十二候では、グレゴリオ暦6月16~20日頃を「梅子黄 (うめのみきばむ)」とするものもあるようですが、しみじみと感じるのは、七十二候は「生活」と密接に結びついたものであり、当時の「生活」と言えば何を置いても食が先にありきだったということでしょうか。
圧倒的に、農耕暦なのですよね。
梅は入っていない(または梅の「実」は登場する)のに、桃と桜は当然のように並んでいるのもその辺りに理由があるのかしらなどと思い巡らせています。
花を、ただ花として愛でるようになった。
豊かになったということですね。
一方で、都心で季節を感じるには、もう花を愛でるくらいしかないのかしらと思うと寂しい気もします。食料自給率の低さを鑑みても、生活感から当たり前に「食」が切り離されているという事実は、少し怖いなとも感じます。

最後まで読んで頂いてありがとうございます。とっても嬉しいです。
きっとまた、遊びにいらしてくださいね。


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