『王の庭師』

二〇二〇年冬
アーレンベルクより
愛をこめて

この想いが、あなたに届きますように。

痛みの先へ

子どもの頃、クリスマスが苦手でした。街中が幸せそうだったから。
「クリスマスで何が一番想い出に残ってる?」
「動脈瘤破裂で植物状態になった母と二人きり、深夜病棟で過ごしたことかな」
――私ならばそう答えるか、笑って首を傾げます。鮮明に思い出すのは母の教え子が折ってくれた千羽鶴。脳波からもう夢も見ていないと聞かされていた母の、それでも奇跡的な回復を祈って、小さな手で折られた無邪気な鶴。「ありがとう」と口にして受け取った瞬間、自分の中の何かが千切り取られるような心地がしたこと。最愛の人はもう戻って来ないと察しながら、私より幼い子たちの目に浮かんだ希望を前に、踏み躙ることもできず、細心の注意を払って、嘘をついた罪悪感。
この物語は、クリスマスなんて大っ嫌いだという人に読んで欲しくて書きました。
世界中で自分はひとりぼっちだと膝を抱えている誰かに、それでも手を差し伸べる方法はないかと模索していたとき、扉を開いてくれた紅い龍に感謝します。
とりわけ、父と二人の母を持つ私の複雑な生い立ち(そして惚気話)に辛抱強く付き合ってくれた杏奈には大際限の賛辞を贈りたいです。

愛すべき隣人たち

誰にも理解されるはずがないと諦めていた悲しみに、寄り添ってくれたのは猫でした。いつも仕事帰りに見かけるのに、不愛想で絶対に触らせてくれなかった野良猫が、突然ごろんとひっくり返ってふかふかのお腹を撫でさせてくれた夜、初めて、道端で声を上げて泣きました。言葉が伝わらなくても感情は伝わる。そう知ることができた時間は、かけがえのない私の財産です。

物語の舞台は、アーレンベルク公国。
「動物、植物、その他一切の生体において、尊厳を尊重して扱わなければならない」と憲法で明記されているこの国は、戦後50年、「血の輸出」と呼ばれる兵力派遣から一転し、森林経営だけで財政を保てるようにしました。そんなアーレンベルクでは、街中でもたくさんの動物に出会います。写真は作中に実際に登場する子たち。左上から順にミソサザイ、ズアオアトリ、そして金色の瞳がチャーミングなグレーの折れ耳の猫の名前は……
よかったらぜひ、本の中で探してみてください。

親愛を込めて
ナディア・アーレンベルク

ヴィッセン語版、待望の邦訳

ヴィッセン語とは

アーレンベルクの公用語は四つあります。
高地アーレンベルク語、低地アーレンベルク語、キルブルク語、そしてヴィッセン語。
ヴィッセン語は、隣国ヴィッセン連合王国の主要言語です。
公国の最南端、ジャン・ブラッドマン氏の狩猟地の国境をさらに南へ進むと、ヴィッセン連合王国の広大な領土が見えてきます。ナディアは6歳でヴィッセンへ亡命して以降、ヴィッセン語を母語として育ってきましたから、アーレンベルク国内で出版されている『王の庭師』(原題:Der Gärtner des Königs.)は全て翻訳書です。
紅龍堂は、著者のプリミティブな感性を取りこぼさぬよう、有名なアーレンベルク語版ではなく、ヴィッセン語版を邦訳することにこだわりました。

木を大切に

「動物、植物、その他一切の生体において、尊厳を尊重して扱わなければならない」と憲法で明記されている国家のストーリーを、大量出版・大量廃棄の流れに乗せることは好ましくありません。
紅龍堂は、2019年に10代~20代の国内所有率が9割を超えたスマートフォン端末に焦点をあて、電子書籍を先行配信し、紙の本は完全受注制作とすることに決めました。液晶モニターでこそ映えるグラフィカルな表紙や、WEBへの接続が可能であるからこそ生まれえたささやかな演出を、ぜひご堪能くださいませ。

発売日:2020年12月24日
Amazon Kindle Store 他