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司法の良心、米最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグ氏を偲んで

こんにちは、紅龍堂書店(くりゅうどうしょてん)の久利生杏奈(くりゅうあんな)です。
秋分の日も過ぎ、七十二候では雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)という季節に入っています。秋彼岸も明ける折、亡くなった先達に思いを馳せています。
……尊敬している人が立て続けにいなくなると気持ちが塞ぎます。
先日、MARVELの黒人ヒーロー映画『ブラック・パンサー』の主演チャドウィック・ボーズマン氏が息を引き取ったばかりで、今度は、司法の良心、ルース・ベイダー・ギンズバーグ氏が旅立たれました。

……チャドウィックの時もそうだったのですが、書店としてお悔やみの言葉を打とうにも、あまりにも存在が大きいと、私などが何を言えばいいのかと足が竦みます。
ルースに至っては、大統領選まで3週間を切った中での訃報で、正直「リベラリズムの試練の時なのかしら」と落ち込みもしたのですが、CNN Filmsのドキュメンタリー『RBG』を視聴して、自分がいかに思い上がっていたか痛感させられました。
以下、備忘録です。

女性やマイノリティーの権利のために闘い続けた、ルース・ベイダー・ギンズバーグ

ルースを知らないという方もいらっしゃると思いますので、まずはBBCの記事と、史実を元にした映画を2本ご紹介させてください。
(書店としては本を紹介したかったのですが、驚くべきことに、ルースの著書は、現段階で邦訳されているものがないのです)

『ビリーブ 未来への大逆転』(原題:On the Basis of Sex)は、ルースが弁護士時代に初めて挑んだ、史上初の男女平等裁判を描いた映画です。
こちらは、CNN Filmsのドキュメンタリー。ルース本人のまっすぐで誠実な瞳、穏やかで控えめな語り口に胸を打たれます。ジェニファー・ハドソンが歌うエンディング『I’ll fight』も素晴らしいです。

前述の映画予告だけでも人物像は察して頂けるとは思うのですが、その闘いがいかに壮絶だったか、ぜひ1970年にアメリカで施行されていた法律を知って頂きたいのです。

  • Employers in most states can legally fire a woman for being pregnant.
    多くの州の雇用主は妊娠した女性を解雇できる
  • Banks can require a woman applying for credit to have her husband co-sign.
    融資を申し込む女性に対して銀行は夫を連帯保証人にするよう要求できる
  • Marital rape is generally not prozecuted.
    (12の州では)夫婦間の性暴力は罪に問われない

「リベラリズムの試練なのかしら」などと悠長に落ち込んでいた自分が恥ずかしくなりました。ルースからしてみればこの50年、試練でなかった時なんて一瞬もなかったというのに。
彼女はどんな時もぶれずに、淡々と、目の前の問題に向き合い続けました。

「同じ議論を繰り返すことになると覚悟していました。何度でも。一度にすべてが変わるとは思いません。一般的に社会における真の変化は一歩ずつ起こるものですから」

Ruth Bader Ginsburg

一歩ずつ攻めるというのは、1970年代の保守的な戦術です。
アメリカでは、1960年代に黒人による公民権運動が先にあり、その影響もあってか、1970年代は女性の平等と市民権獲得に向けて国民の機運が高まっていた時期でもありました。
多くの人がデモ活動などに力を入れる中、しかしルースは、全く違う方法を模索します。

社会の中で、自分の法律のスキルを活かすこと。

1963年、ルースはラトガース大学の教授になります。
学生に「ジェンダーと法」について教え始め、60年代後半には「女性と法」の講義を(驚いたのですが、いずれも学生からの要望が先にあって始めた授業なのですね。いつの世も、ボトムアップで世を突き上げていくのは若者なのかしらと考えさせられました)
そして同時期、「最高裁で闘える」裁判に関わるため、ルースは極めて具体的に方策を練り始めます。
私、この姿勢に本当に感銘を受けたのですが、「地道にコツコツ」「一歩一歩」、言葉として聞けば穏やかなものですが、ルースの一歩はさながら武者の摺り足です。step by stepの先にはいつも最高裁を見据えており、国を変えるためにはトップに居座る特権階級に直接語り掛けなければならないというシビアな状況を、ルースは明確に理解していました。
それでいて、全く悲観的にならなかったのです。

司法の良心

彼女が採った戦略は、「相手の心に訴える」哲学の探求です。
まず彼女は、サーグッド・マーシャル判事をロールモデルに選びました。
マーシャル判事は、人種差別撤廃のために法の下の平等を保障した憲法条文を活用した先達です。つまりルースは、「性差別は黒人差別と根を同じくする」という哲学を弁論に散りばめることで、アメリカの平等理念を信奉する者ならば絶対に認めるわけにはいかないという下地を整えていったのです。
補足までに、日本人には馴染みの薄い数字かもしれないので、アメリカの南北戦争の死者は北軍が7万4,524人、南軍が11万70人。合計で18万4,594人です(※ワールド・アルマナック年鑑より)
一方で、太平洋戦争の米軍の死者は9万2,540人。
つまりアメリカからすれば、南北戦争は、太平洋戦争の二倍の死者を出している内戦です。
よく日本国憲法の議論で、「GHQの押し付けだ」という人を見かけますが、私が(そして多くの憲法学者が)そこは本筋ではないと感じる一因はこの数字にあります。多くの――本当に巨大な数の――人が亡くなった後には、国家には新たな社会契約が求められます。アメリカにとって(そして310万人の死者を出した戦後日本にとって)、必要だったのは「人民の、人民による、人民のための政治」。
ゲティスバーグのリンカーンの演説は、アメリカの司法からすれば――判事が白人エリート階級男性であろうと、むしろそうであれば余計に――譲ることはまかりならない正義だったのです。
そこに、ルースは訴えかけました。
自分の主張を押し通すのではなく、あくまでも、相手の理念の琴線に触れたのです。

1973年、フロンティエロ対リチャードソン

かくして、ルースが初めて最高裁で闘った裁判は、1973年。
フロンティエロ対リチャードソン。
アメリカ空軍少尉の既婚女性が、既婚男性にのみ認められていた住宅手当の支給に疑義を訴えました。連邦地裁で敗訴し、舞台は最高裁へ。
ルースは、性による区別が平等違反になる可能性が高い事を示すため、1837年のサラ・グリムケを紹介します。奴隷廃止と女性解放で有名な彼女の言葉は、
「特別扱いは求めません。男性の皆さん、お願いです。私たちを踏みつけているその足をどけて」
ルースが裁判で訴えたのは、性差別も人種差別も同じだということでした。
そうして、最高裁で勝訴。

1975年、ワインバーガー対ワイゼンフェルド

これがまた、本当に凄いと鳥肌が立ったのですが、次にルースが携わったのは、乳飲み子を残して妻に先立たれた「男性が」、「女性のみ」に認められていた社会保障の受給資格を訴えた裁判です。
自治体の社会保障の部署は、当時、ひとり親手当ての支給を母親にしか認めていませんでした。しかし育児に専念するために安定した職に就けない逼迫した事情は、男女関係ありません。
ルースは、差別を受けた男性の訴訟代理人を務める事で、性差別の深刻さを世間に示したのです。

“Step by step”

文字通り一歩ずつ、ルースは物事を前に進めて行きました。
1977年、カリファノ対ゴールドファーブ。遺族給付金を男女で区別する連邦法は平等違反だと主張。1975年、エドワーズ対ヒーリー。女性の陪審義務を免除するルイジアナ州法に挑む。
一つの訴訟の度に、世界が変わっていきました。
一歩ずつとはまさしく、訴訟毎に他なりませんでした。ルースは入念に証拠を集め、丁寧に準備し、依頼人一人一人の心を救っていきます。
『RBG』の中で語っていた関係者が、「セーターを編むように」という比喩を使っていたのが印象的でした。社会の網目一つに手を抜かず、投げ出さず、愚直に向き合い続ける事に、どれほどの辛抱強さが求められるか。

「私が話す判事たちは、性差別が存在することすら認識していません」

ルースは驚くほど穏やかに語ります。
「現実を伝えることが私の仕事でした」と。
中には、「新しい紙幣に女性活動家の顔を?」などと、見当違いのヤジを飛ばす判事もいました。こうした発言をされたときも、ルースは声を荒げたりはしません。

「母の教えどおり、怒りを鎮めます。怒れば自滅するわ。人に何かを教える時と同じですよ。自分を幼稚園の先生だと考えました。判事たちは性差別が存在しないと思っています。彼らの心に訴えたかったのは、自分の娘や孫娘が、どんな世界で暮らしてほしいか」

Ruth Bader Ginsburg

どんなに心ない相手を前にしても、「心がある」と信じる胆力。
ルースに感化されて、連邦裁判所も変わっていきます。
ジミー・カーターが大統領になった時には、連邦裁判所を見てこんな言葉を残しています。

「私に似た人ばかりだね。これは偉大な国の姿ではない。連邦裁判所にはほとんど女性がいない。アフリカ系アメリカ人もわずかだ。私はそれを変える」

James Earl Carter, Jr.

“Notorious RBG”

そしてルースは1980年、D.C.巡回区控訴裁判所に入るのです。
クリントン大統領がルースを最高裁判事に指名した時、彼女は60歳を超えていました。
(余談ですが、60歳は「高齢」ですから、異例の大抜擢だったそうです。当たり前と言えば当たり前なのですが、今の日本の政界の顔ぶれを思うと……反省せずにいられません)
ブッシュ大統領の就任時には、アリートとロバーツ判事が加わり最高裁は右傾化しますが、それでもルースは、リベラルな反対意見を表明し続けます。大腸癌と膵臓癌、二つの癌を抱えながらも、明朗闊達さは全く衰える事がありませんでした。
今では若者やSNSの間で「Notorious RBG」の異名を轟かせ、ロックスターのように大人気。彼女の理念は脈々と、次の世代の血肉となって流れ続けています。

司法の良心は、生き続ける。

その潮流を、日本も確かに受けていると、私は信じています。
奇しくも『RBG』でジミー・カーターの言葉を聞いて思い出したのは、つい先日、自民党総裁選に敗れた石破茂さんでした。記者クラブの顔ぶれを見て、「みんな男性ですね」と呟いたのですが、あの時、男性記者の方々は笑っていました――50年前の、1970年代のアメリカと同じように。
恥ずかしいですね。
でも、少しずつ、本当に少しずつですが、日本も変わっていると感じています。
昨日、TIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたのは、大坂なおみ選手と伊藤詩織さんです。この事実。
この意味をこそ、ポジティブに捉えたいのです。
ルースは、「法律に関しては身を捧げるほどの愛があります」と楽しそうに語っていました。「淑女たれ、自立せよ」はルースのお母さまの言葉ですが、私も、私自身が愛せる分野で、彼女たちの理念を、遠い島国の片隅でも引き継いでいきたいのです。
まずはこの気持ちを書き留めることから。

最後まで読んで頂いてありがとうございます。とっても嬉しいです。あなたの尊敬する人は誰ですか。
きっとまた、遊びにいらしてくださいね。


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