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小川一水『天冥の標』、日本SF大賞の報を受けて泣きました。おめでとうございます。

それでいいんですか、とエランカは静かに尋ねた。現実、世間、しがらみ、歴史、そういったものが「今」のほとんどを構成している。そうでしょう。そのとおりです。だったら、それが全てなんですか。
あなたのなかには、ほんのひとかけらの未来もないんですか?
そう尋ねたとき――苦しそうにうつむく相手が、確かにいた。
また来てくれ、と彼は言った。私だって、と答える女もいた。隣り合った市電の席で、使いに託した手紙で、実は自分も、と告白してくれる人がいた。一人、二人。五人、六人。少しずつ人数は増えた。一人増えるたびにエランカは喜びに震えた。白々明けの早朝まで起きていた後でも、まだ働けるような力が湧きだした。

小川一水『天冥の標Ⅰ メニー・メニー・シープ(下)』ハヤカワ文庫, 2009, p.127

こんにちは、紅龍堂書店(くりゅうどうしょてん)の久利生杏奈(くりゅうあんな)です。

『天冥の標』が日本SF大賞を受賞しました。
全10巻、17冊。1冊目が出たのは2009年。完結したのは昨年。ずっとリアルタイムで読んできました。受賞の報を受けても驚きは全くありませんでしたが、ただ一筋、涙がこぼれました。本の内容に泣くことはあっても、本の受賞で泣いたことは初めてです。
それだけ、私の中で大切な作品だったのだと気づかされました。
ネタバレを忌避して書くとどうしても観念的な感想にならざるをえないのですが、もし、読んだことのない人にどんな作品ですかと尋ねられたら、

「狂った世界で、正気を保ち続ける物語です」

と私は答えます。
それは物語の中の登場人物たちの話でもありますし、私自身に照らしても、この荒んだ時代に、 『天冥の標』 からどれほど勇気づけられてきたか計り知れないからです。
『天冥の標』 の舞台は、著者の人並み外れたイマジネーションによって描き出された、極めて壮麗かつ具体的なファンタジーであると同時に、紛うことなく「私たち」の世界です。政治、経済、分断、差別、エロス、ジェンダー、フェミニズム、農業、AI、エネルギー……未来。
2巻を読んだ方ならば、2009年に書かれた「冥王斑」が、10年後の「コロナウイルス」に重なって見えて仕方ないのではないでしょうか。10年前の「日本」の描写が、現在を予見していたようで――あるいは著者が着想を得たという、鳥インフルエンザから何も変わっていないようで慄然とします。
一節を引用します。

アジアでもっとも豊かで開発の進んだ、というより開発が終わって行き詰まっている、黄昏の大国、日本……確かに、こんな狭い国であの病気が頻発しているのだから、騒ぎにもなるだろう。騒ぎ、のはずだ、これは。フェオドールはちょっと背伸びしながら振り返って、客車の中を見回す。座席の埋まりは五分くらいで、ダークスーツの会社員や弁当をひろげている年輩の女性たち、大きなトランクを通路側にはみ出させた旅行客、それら全員がしっかりと顔半分を白いもので覆っている。子供たちまで、抜け目のない会社が売り出した、キャラクターものの絵の入った小さなかわいらしいマスクを、親につけさせられている。お母さん、これやだ……ダメだってば、バイキンが来るって言ったでしょ? 向こう着くまでだから、ね……前に向き直ると、ドアの上の電光ティッカーをPlease mask onの赤文字が流れていく……。 《中略》
これは、なんて静かな騒ぎだろうか。 《中略》
今この瞬間もハカタとトヤマでは警察の出動するような本格的なアウトブレイクが起こっているというのに、不安に震えている人も祈っている人もいない……だいたい、こんな状況で国内高速鉄道が動いていること自体が何かの冗談としか思えない。職員のストは起こらないんだろうか? 政府に対策を求めるデモは?
もちろん、そういうことは起こっているのだ。――ここ以外のどこかで。そしてメディアの上で。 《中略》
東京はモントリオールの十倍以上大きな町で、あまりにも多くの人がいるために、どこかで誰かが死んだり傷ついたりしていても、全然自分のこととして感じられないのだ、ということがわかってきた。

小川一水『天冥の標Ⅱ 救世群』ハヤカワ文庫, 2009, pp.264-265

……実は私は、小説を、読めなくなった時期がありました。
政情不安や「汚い大人」を見るにつけて、ふわふわと浮世離れした作風に触れると心が軋むようになったことがありました。
どうやって楽しんできたのか、思い出せなくなりました。
でもこの作品は読んでこられました。
どんな時も、傍で支え続けてくれました。
もちろん10年も前に書かれ始めた物語ですから、ジェンダー感などは今読み返すと違和感を覚える描写もあります。けれどそれに関しても、誰よりも著者自身が痛感なさっているということは、2巻、3巻と冊数を重ねるにつれて安心感すら生まれてきます。
この人は、「今」を生きている私たちを見捨てないと。
主観で恐縮ですが、文体も読みやすいです。
SF作品ならではの、あの独特の専門用語や、翻訳作品に多い「微妙な言葉のリズムのズレ」が苦手という人にこそ読んでみて欲しい作品です。
これは――なんというのでしょう、邪道な薦め方かもしれないのですが、もし1巻の冒頭を読んで「無理かも……」と引いてしまうくらいならば、2巻から読んでみてください。それでも話は充分つかめます。

古今東西にSFファンタジー作品は数知れずありますが、『天命の標』は、『スター・ウォーズ』シリーズや『指輪物語』シリーズにも引けを取らない大スペクタクルです。それどころか、ストーリーの緻密さでは一枚も二枚も上を行っていると、これは日本人の贔屓目なしに、本当にそう思います。
もしも私がハリウッドの映画プロデューサーで、世界中から何か一作品だけ映像化することを選べるのならば、真っ先に、この作品の権利を買い取ります。
物語にはそれぞれ個性がありますから、一概に比べることはできませんし(ともすれば乱暴ですしするべきではないとも悩みましたが)、それでもエンターテインメントとして、シナリオの骨太さ、人間描写の巧みさで言えば、昨年エミー賞12冠を達成した『ゲーム・オブ・スローンズ』に匹敵します。

最後まで読んで頂いてありがとうございます。とっても嬉しいです。
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そしてよかったら、感想をお聞かせ頂けるととっっっても嬉しいです! 本当に、本当に面白い作品なので。
きっとまた、遊びにいらしてくださいね。





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