イチゲが好きです――春の妖精、スプリング・エフェメラル
こんにちは、紅龍堂書店(くりゅうどうしょてん)の久利生杏奈(くりゅうあんな)です。
東日本大震災から今日で9年ですね。
紅龍堂の近くには温泉があるのですが、コロナウイルスで行政指示が入り現在は臨時休館中。図書館も休館中。今日はなんとなく一人で紅龍堂にいるのが寂しくて、近所のお寺に行きました。梅が綺麗なのです。
本堂のお参りを終えたところで、和尚さんに呼び止められました。
「今日はいい天気で、気持ちがよいでしょう」
「はい、とっても」
「梅も綺麗ですが、梅の根本もぜひご覧になってくださいね。イチゲの花が可憐に咲いていますよ」
「――一華」
「はい、東一華(アズマイチゲ)です。梅の木の下が心地いいんですかね。群生してるんですよ。毎朝11時くらいに開いてね、14時くらいにはすぼんでしまう。奥ゆかしい花です。今日は――ああ、だめだ、もうすぼんでる」
「そうですか……」
「川のほうには行きましたか?」
「いえ、まだ」
「今年は、蛍は見られないかもしれません。氾濫でね」
「大変でしたよね。もしかして、まだ川岸を歩けないのですか?」
「いえそれは平気なんですが、ほら、色々変わるでしょう。流されて。年にもよりますが、増水の後は蛍が減るんです。まあ、自由に見ていってください」
「ありがとうございます」
「別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます」というのは川端康成ですが、人は与えたものしか残せないのですよね。
川端の『花』の一節には「美しい呪い」の呼び声が多いですが、私は、呪いでもいいから、教えてもらったことは覚えていたいです。
「一華」
一つの茎に一つの花しか咲かせないから、そう呼ばれています。早春に咲いた後は、葉を枯らして姿を消してしまう。こうした特徴の野草を、春の妖精、「Spring Ephemeral(スプリング・エフェメラル)」と総称します。
直訳は「春の命短しもの」
地下では生きていて、また来春、咲くのですけれどね。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。とっても嬉しいです。
きっとまた、遊びにいらしてくださいね。
「初月家賃無料、ペットもルームシェアも単身高齢者もLGBTQも外国籍も生活保護も前科持ちも当たり前にOK」だそうです。詳しいことはリンクからご確認くださいませ。
「自分も物語の世界に飛び込みたい」という方は、とりわけ、大歓迎です。
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