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「小児性愛」という言葉の暴力性について思うこと

こんにちは、紅龍堂書店の久利生杏奈です。
公開すべきかずっと悩んでいたのですが、KADOKAWAの件もあったので、やはりブログにだけは書き残しておきます。

最初に断り書きをさせてください。
この記事は18歳未満の方は閲覧禁止とさせてください。
未成年の方に限らず成人の方も、読んでいる内に気分が悪くなったり、何かおかしいと混乱したり苦しくなったら、信頼できる大人や、性暴力を専門としているカウンセラーやプロフェッショナルに相談してください。無料で話を聞いてもらえる場所も、あまり知られていないだけでたくさんあります。

表記についても補足を。
通常であれば、当ブログで書く記事は「誰がいつ何を発言したのか」、記録として機能するように、関連する人名や団体などの固有名詞、出典リンク、必要に応じてスクリーンショット等も掲載するようにしているのですが、今回は一部省きます。
というのも、発端の発言をされている翻訳家の方やその周辺の方々のご年齢を、私は知らないためです。
仮に未成年や、そうでなくとも若い方ならば、この記事が今後のご経歴の傷になってはならないと考えます(今回の件は特に、翻訳家一人の責任ではなく、起用した版元や彼女の発言を支持した編集者、文壇、またSNSの構造にも問題の本質があると私は考えています)。
そのため検索避けが必要と感じた箇所に関しては、固有名詞は出しません。ご了承ください。
ただ、それでは正誤の判断が難しいこともあるでしょうから、私と面識のある方(とりわけ出版、アニメ、ゲーム、通信業界など、一般読者・ユーザーに影響を与える立場の方)は、ご連絡くだされば出典など保管してあります。口頭で経緯もご説明できます。

本記事には小児性暴力に関する具体的な内容が含まれます。
本記事は、一切の引用・転載を禁じます。
特にSNSへのURL掲載等は絶対におやめください。
過度に敵対的、また悪質と判断した場合は、すみやかに弁護士に相談し、必要に応じて警察に通報いたします。

———————

前提共有のため、3ヶ月前にぐったりと感じた疑問を箇条書きにします。

  • ペドフィリアという単語を、「こどもに 性欲を抱くひと」(原文ママ)と定義し、「こどもに不当な性的行為をやらせるひと」(原文ママ)であるチャイルドマレスターと区別すべきという主張を、英日翻訳家が行うことは正当か。
  • その主張を、他国のクィア文学に便乗する流れで、LGBTQ+に紐付けて行うのは正当か。
    ……私自身の立場を先に書くと、児童性加害者の大半はシス男性という統計がすでに出ていますし(※1)、悪意に満ちた歴史もありますから(※4)、児童性加害をLGBTQ+の文脈で語ることは、それ自体が虚報であり極めて悪質な差別行為であると考えています。
  • 冒頭の主張は、原作者の発言なのか。
    ※後日原作の編集者の方のツイートを確認しました。違うようです。
  • 日本の英日翻訳家が、原作者の著書を「わたしの本だ」(原文ママ)とツイートした上で、「ペドフィリア差別反対」(原文ママ)とツイートしていることを、原作者は知っているのか。
    ※後日原作の編集者の方のツイートを確認しました。SNSで読者の方に聞かされるまで知らなかったそうです。
  • 日本の英日翻訳家が、チャイルドマレスターを「こどもに『不当な』性的行為をやらせるひと」と訳していることを、原作者は知っているのか。
    (子どもにやらせる性的行為に「正当」も「不当」もあるのか)
  • 日本の英日翻訳家が、「こどもに性欲を抱くひとが呼び名を変える必要があるんじゃないよ。寧ろ、ペドフィリアという過不足のない語を取り戻さなければいけないよ」(原文ママ)と提唱していることを、原作者は知っているのか。
  • 仮にペドフィリアが翻訳家のいう「過不足のない言葉」だとして、その単語を、未成年者も大勢閲覧しているSNSに連続して投下することは暴力でないと言えるのか。
  • そもそもペドフィリアという単語は医療用語ではなかったか。
    英日翻訳家が勝手に新しい解釈を付与すれば、国内の被害者支援・加害者臨床、どちらでも混乱が生じかねず、二次加害になるのではという強い懸念(※2・3)。
    参考までに、加害者臨床の専門家である斉藤氏の著書より引用します。

     日本語では小児性愛障害といわれていますが、英語ではPedophilic Disorder、またはPedophiliaといわれ、この「ペドフィリア」という語のほうが馴染みがある人も多いでしょう。また、加害行為を何度も何度も反復するのは、性的嗜癖行動の側面があるからです。嗜癖とは、わかりやすくいえば依存症のことです。
    (斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.3)

    念のためMSDマニュアル(MSDの本社のある米国で1899年に初めて発行されて以来、世界中で広く活用されてきた医学事典)のプロフェッショナル版へのリンクも貼っておきます。
    ■小児性愛障害
    (小児性愛)
    ※この「小児性愛」という表記については、弊レーベルは後述の理由から日頃は利用していません。ここは引用のためそのまま掲載します。
    執筆者: George R. Brown , MD, East Tennessee State University
    レビュー/改訂 2019年 7月

  • 日本の現状について。弊レーベル在籍の社会福祉士・精神保健福祉士に確認したところ、児童福祉現場で冒頭の英日翻訳家ような単語の使い方はしていない。
  • 子どもに性加害をおこなった加害者の臨床を最前線で担当している専門家も、冒頭の英日翻訳家のような単語の使い方はしていない(※1・2)
  • そもそも「小児性愛」という言葉は、10年近く前から不適切表現だという議論がある(※2・3)
    こちらも何冊か引用します。

「小児性愛者」という言葉は、性暴力問題を扱う際の不適切表現として注目される言葉です。子どもを性的に利用・搾取する人物の性嗜好に「愛」の言葉を与えることが、被害者である子どもの人権を傷つけます。
(八木修司・岡本正子共著『性的虐待を受けた子ども・性的問題行動を示す子どもへの支援 児童福祉施設における生活支援と心理・医療ケア』2015年発行第三版,明石書店 p.14)

 子どもに与えられたものは“愛”ではなく、暴力です。加害行為であり、搾取であり、心と身体を踏み躙る行為で、人権そのものを侵害しています。子どものその先の人生を大きく変えてしまうかもしれないほどの、苛烈な暴力なのです。
これを“愛”といってしまうのは、加害者視点からの発想でしかないと私は考えます。彼らは「純愛だった」「かわいくて仕方がなかった」と子どもへの愛着や行為をあくまでも肯定的な意味として口にします。そうやって子どもを愛していると錯覚しながら、性加害行為をくり返すのです。
近年は、被害者支援、加害者臨床どちらの場でも「小児性犯罪」「小児性暴力」など、愛情や好意といった親和的な要素を払拭した表現をするのが常識となっています。報道などでも早くこの表現が定着してほしいものです。
しかしながら、彼らの問題はそれを“愛”だと心から思っている所にあるのも事実です。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.2)

……この「加害者視点」という部分がとても重要で、特にインターネットなど被害者も閲覧する公共の場においては、加害者よりも被害者に親和的であるべきだと私は考えているため、弊レーベルでは、ペドフィリアのことを「小児性愛」と訳すことはありません。

  • ペドフィリアは先天的なものなのか
    LGBTQ+が医学に弾圧されてきた歴史があるので、そこに紐付けて同情的に語る方も多かったのですが、少なくとも最先端の科学において、治療で改善できると多くの結果が出ている事象まで疑ってかかるのは、知性蔑視と紙一重であり建設的ではないと私は考えています。
    もっと言ってしまえば、そこで素人が「かわいそう」といった風潮を作ってしまっては、病識のない当事者が適切な支援施設に繋がることさえ阻害します。
    被害者への二次加害になることは言うまでもないです。
    これについては、実態を知らずに憶測で見解を述べている方があまりにも多かったので、少し長いのですが複数引用します。

<児童性加害者の類型的な認知の歪みとして>
小児性愛は権利である(太字原文ママ)
・そもそもペドフィリアはLGBTと同じ文脈で語られるべきだよね。
・大人の女性とセックスができないから、せめて子どもで性欲を満たしたくなる気持ちをわかってほしい。
児童ポルノは必要だ(太字原文ママ)
・現実の子どもには害がないのだから、まったく問題ないよね。
・現実とファンタジーの区別はついている。児童ポルノを見ているからといって実際の子どもを襲うなんてことはない。
・児童ポルノがあるから現実の子どもにいかなくて済んでいるんだ。なければ、子どもの性犯罪はもっと増えるはずだよ。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.33-34)

「指向(どの性別の人間を恋愛、性愛の対象とするか。恋愛・性愛の対象がない場合も含む)」と「嗜好(何に対して性的に興奮するか)」の区別がついておらず、同性愛や両性愛も「性的欲求の問題」だと誤解しているのだと思われます。子どもと性行為をしたいというのは、いうまでもなく“嗜好”の問題です。
この背景には、「男性の性的欲求は誰かに受け止めてもらうべきもの」という発想があるように思います。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.36)

<中略>子どもを性対象とする者の大半は自身が小児性愛障害という病を抱えているという自覚がなく、困ってもいません。子どもを性的な対象として見てしまう自分にコンプレックスを持っていたり生きづらさを感じていたりすることはあっても、それが治療の対象になるものだということはほとんど知られていないため、この段階で自主的にクリニックを訪れる当事者は皆無です。
家族がその性的嗜好に気づいてショックを受け、インターネットなどで調べてクリニックに問い合わせをしてくることはありますが、本人には病識、つまり病気であるという自覚が欠如しており、困っていないので治療につながりにくいのです。もし通院を始めたとしても、治療を継続させるのはむずかしいでしょう。
それどころか本人は、子どもへの性的嗜好を手放したくないと考えています。先ほどお話しした生きづらさとは矛盾するようですが、彼らにとってこの嗜好はそのマイナスの要素を補って余りあるものなのです。彼らは人生の“すべて”を子どもへの性的関心とその行動化に費やします。情熱を傾けている、という表現ではまだ生ぬるいと感じるほどです。だから、それを失うほうがよほど“著しい苦痛”になるのです。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.97-98)

 被害者からすると、加害者が病気だと聞かされたところでダメージが小さくなることはないので、まったく関係ないとも言えます。「だったらしょうがないかな」なんて思うことも絶対にないでしょう。当然のことです。
病気というからには、「治療によって行動変容ができる」と私たちは考えています。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.57)

 小児性愛障害についての研究は世界中でなされています。そのなかにはこの障害は先天性の疾患であるとする論文もあるようです。生まれたときから、子どもに性的興奮を覚えるよう遺伝子に組み込まれていると主張する研究者がいるのです。
遺伝子で受け継がれることを証明するとなると、その血縁から何人もの小児性愛障害者が出ているということを突き止めなければなりませんが、まだそこまでの研究は進んでないようです。
もし仮に、先天的に小児性愛障害を持って生まれる人がいるのだとしても、「だから、子どもに加害するのは仕方がない」ということにはなりません。みずからの性的嗜好を自覚したうえで、セルフコントロールしていくべきものです。そうしないと何人もの子どもの人生に多大なダメージを与えますし、本人も社会に適応できず苦痛を抱えたまま生きることになります。たとえ先天的なものであっても、小児性愛障害者には「加害行為をしない」という責任があるのです。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.83)

 クリニックの通院者らには子どものころ「機能不全家族」で育った者が目立ちます。また、学校で壮絶ないじめに遭い、不登校になった体験を話す者も多く含まれます。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.54)

 加害しやすい、しにくい以前に、彼らには固有の“好み”があります。子どもなら誰でもいいという者は少ないです。人は誰しも恋愛や性の対象について好みがありますが、小児性愛障害者らは成人を対象とした加害者よりもこだわりが強く、それ以外はほとんど興味を示さないといった具合です。
子どもの年齢についても限定的で、3~5歳とか小学1~3年生とか「その年齢じゃなきゃだめなんです」と堂々と主張します。「アンダーヘアが生えていない性器にとても興奮する」という者は多数います。なるほどアンダーヘアは身体的な成熟を示す特徴の一つですから、それがないことは子どもである“証”のようなものなのでしょう。成長には差がありますし、第二次性徴が見られたからといって大人になるわけではなくまだ子どもです。しかし彼らにその発想はなく、アンダーヘアが生えればとたんに興味を失い、“対象外”とします。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.148)

 子どもへの性暴力の“語りにくさ”は群を抜いています。そこで2018年から小児性愛障害の治療で通う者だけ、SAGと分けてミーティングを行うことにしたのです。そこにいるのは自分と同じ性嗜好を持ち、問題行動をくり返してきた者だけです。なかなか本当の話ができなかった者同士が、そこに集まりました。
その結果、やっと再発防止に向けての大事な一歩を踏み出せる者たちが出てきました。小児性愛障害の者らだけで集まったからといってすぐに自己開示ができるわけではなく、人によっては時間がかかりますが、それでも「自分だけが異質である」という意識で閉じこもることはなくなります。ある参加者は、最大の警告のサインである「トイレで生理用品などの汚物を漁る」「子どもが用を足した後の排泄物を集める」という話を正直に打ち明けました。聞く人に嫌悪されることは彼もよくわかっており、だからこそこれまで一度も口にできなかったのです。これを機に、彼の表情は明らかに変化していきました。
ミーティングで話し合われる内容は、多岐にわたります。話題になっている事件をもとに自分たちのことを話し合うこともあれば、児童ポルノや児童型セックスドールは再犯防止につながるか、再犯の引き金になるかということを、自分たちの体験を通して活発にディスカッションすることもあります。児童ポルノや児童型セックスドールの使用については、彼らは満場一致で「再犯につながる」と答えました。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.227-229)

 クリニックでは、性犯罪の治療グループに通う者らの家族を対象にした「加害者家族支援グループ(SFG:Sexual Addiction Family Group-meeting))」というプログラムがあります。
<中略>
家族たちは自分で自分を責めます。「なぜ気づかなかったのか」「未然に防げたのではないか」と悔みながら、しかし一方で子どもに加害した夫、息子への嫌悪感、許せない気持ちを抱えます。加害者のなかには、被害者と同世代の娘を持つ父親もいます。この板挟み状態を“ダブルバインド”といい、相反する心の動きにたいていの人は疲弊しきってしまいます。また、裁判費用や慰謝料の支払いによって経済的にも厳しい状況に追い詰められます。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.229-230)

 私は、100人を超える子どもへの性加害者らと関わってきて、彼らも私達と変わらない、同じ“人間”だと考えるに至りました。決して性欲が抑えられないモンスターではありません。
それは、「自分自身にも知らないうちに子どもに性加害をしてしまう可能性がある」ということです。多くの人にとっては、考えるだけでおぞましいことでしょう。しかし、そのプロセス抜きには子どもへの性暴力撲滅を考えられないと断言できます。
子どもへの性加害、つまり小児性愛障害は、社会のなかで学習された行動です。大げさかもしれませんが、いまの日本社会が「ペドフィリア」を生み出し続けているといっても過言ではありません。
すなわち社会を構成するひとりひとりが、子どもへの性加害と、それをくり返す加害者の正確な実態を知る必要があるということです。
(斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.7)

……ここまで読んでいただいた方ならば、性的指向(どの性別の人間を恋愛・性愛の対象とするか。恋愛・性愛の対象がない場合も含む)と、性的嗜好(何に対して性的に興奮するか)を混同して語ることが、どれほど危険で、LGBTQ+のコミュニティーに実害を及ぼす言説かも理解いただけると思いたいです。
私の知る限り、LGBTQ+の方で、たとえばレズビアンやトランスジェンダーの方で、「パートナーにアンダーヘアが生えたからもういらない」と考える人は一人もいません。
それは「愛」ではありません。
性指向と性嗜好の話になると、なぜか「性指向に比べて性嗜好は軽んじられている」といった論調が出てくるのですが、申し訳ないですが、私は「性欲は誰かに受け止めてもらうべき」という考えはしていないため、両者を等しく扱えという考えには同意できません。
むしろ両者は違うものだということを正しく把握しておかなければ、さらなる差別を助長すると考える立場です。

また、「ペドフィリアは先天的なもの(かもしれない)だから責めるのはかわいそう」という主張に関しては、被害者はもちろん、性犯罪の治療グループに通う者らの家族も読んでいる可能性を考えていただきたいです。
前述の通り、ペドフィリアを先天的なものとする論文は、「子どもに性的興奮を覚えるよう遺伝子に組み込まれている」とする趣旨ですから、小児性加害者の家族からすれば、自分も性犯罪を犯す可能性があると示唆されているようなものです。
私はこの状況こそ二次被害ではという疑問があります。

少し脱線しましたが、おそらく英日翻訳家の方やその周辺の方、また冒頭の発言に支持を表明した文壇の方々も、悪気は無かったのだと思います。
しかし悪気がないことは、人を傷つけない保証にはなりません。
言葉の定義に関して、文壇はその方向性を決めかねない権威的な立場にいます。文壇が偉いと言っているのではなくむしろ逆で、自身の言葉が人を殺しかねない暴力的な立場にあると肝に銘じるべきだと、日頃から私自身言い聞かせています。
また翻訳家の方――すみません、敢えて言わせてください、翻訳家の「方々」は、原作からあまりにもかけ離れた「意訳」や、作品に紐付けての持論展開は、著作者人格権の侵害や名誉毀損になりかねないという意識も持ったほうがいいのではと感じる場面が増えています。新人、ご年輩の方、関係なく増えています。
特に今回の「ペドフィリア」に関して私が懸念したことの一つに、国連の人身取引報告レポートで、日本は「児童の人身取引」を名指しで批判され続けていることがあります(※5)。
1996年にスウェーデンのストックホルムで開催された「子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」で、世界に蔓延する児童ポルノコンテンツの8割が「日本製」だとして、日本に対する非難が集中したことも、数字の是非はともかく忘れてはならないと私は考えています。
敢えて言いますが、こんなにもモラルの底が抜けた日本で、文壇が「ペドフィリア差別反対」と発信することが世界に対してどのような意味を持つか、どうか一度冷静に振り返っていただきたかったです。翻訳家を名乗るのであればことさらに。
そしてもし仮に、これらの事実を知らなかったのであれば、「自分にも知らないことがある」ということを、専門的な知見がなければ話せないことがあるということを、これを機にどうか強く胸に刻んでいただきたいです。

言うまでもなく、作家や編集者も同様です。
そこには私も含まれます。今日ここに書いた文章も、科学の発展によってきっと古くなっていくでしょう。

なお読者の方におかれては、私は今回の経緯についてはほぼ100%「権威を持って発言した文壇が悪い」と考えているのですが、以下のことを胸に留め置いていただけると助かります。

  • 出典を載せていない記事の信憑性は低い。
  • 引用のルールとして孫引きはやってはいけない。
  • 自分の専門分野でもないのに断定的に発信する「プロ」は信じてはいけない。その「プロ」は学問に誠実ではない。

たとえば、ある作家は冒頭の英日翻訳家の発言を支持する「根拠」として、「実際に未成年に性加害を行う者たち=チャイルドマレスターの中に占めるペドファイル(ペドフィリア傾向を持つ人)の割合は、わずか三割程度との調査結果が出ている。」と発信していました。
しかし出典が載っていませんでした。
数字として「3割」というのはむしろかなり多いのではと私は疑問に感じたため、論文を探したところ、この方が引いていた文章はWikipediaの脚注(※7)だったということが分かりました。申し訳ないですが、私の目には原典まであたったようには見えませんでした。

……以上、「俎上に上げること自体が非常に危険」と感じたので悩んだのですが、弊レーベルとしては、

  • 子どもに性的行為をすること
  • 子どもに『私はあなたに欲情する』と伝えること
  • SNSなど子どもが目にする場所で『私は子どもに欲情する』と表明すること

いずれも性的・心理的虐待だと考えています。
「子どもに性行為を教唆すること」は国内の児童虐待防止法において性的虐待と定められていますし(※8)、シンプルに違法行為です。
なので弁護士など実務家の方々が、内心の自由と実行の別を特に強調して書かれている(※9)のは、単に法的な解釈であり、大人の常識の話かなと私は考えていました。
しかしそうは捉えない方があまりにも多いことに疲弊しました。
特に、冒頭の英日翻訳家の発言を支持して広めていた方の中には、日頃はLGBTQ+フレンドリーを標榜する作家や編集者がかなりの数いらっしゃり、これはどういうことなのだろうと考えこみました。
人間ですから受け止め方・考え方に違いがあるのは当たり前です。
ですがこれだけは言わせてください。
弊レーベルのLGBTQ+当事者があなたがたの発言を見てつぶやいた言葉はこうです。

「この焼け跡を生きていくのか」
「自分はもう二度とLGBTQ+だなんて名乗らない」

これは、私自身も自らの悪癖として自戒し、気をつけていることですが、文章を生業にする人間は、良くも悪くも、「構文として筋が通っており論理だっていれば、それを正しいと感じる」側面があります。
ですが構文の筋が通っていることは「正しさ」の証明にはなりません。
それは単に筋が通っているだけです。単語一つ、前提条件一つ誤っていれば崩れ去る机上の空論です。
だから調べるのではなかったのですか。
何重にも取材して、背景知識を身につけて、当事者に頭を下げて声を聞いて、第三者の声を聞いて、有識者の声を聞いて、裏取りして、校正校閲を重ねて、やっと本にする。
それが出版ではなかったのですか。
その基礎を忘れて、ただ思いつきを世に放つのならば、それは放火と変わりません。

俎上に乗せることさえ危ういと感じた内容を、公開しようと最終的に判断した理由は、「ペドフィリア チャイルドマレスター」でGoogle検索した際、LGBTQ+差別の燃料となるような記事ばかりが、トップに上がってきてしまっていたためです。
当記事がカウンターになればと願います。

最後に、大変悩んだのですが、あれから3ヶ月経った現時点においても、冒頭の英日翻訳家の発言を支持したことへの釈明や弁明がなく、むしろ忘れているように見える(作品を宣伝するなどを続けている)方に関しては、どれだけ著名な方であっても、今まで親密なお付き合いがあった方でも、ブロックさせていただきます。
「作品(とりわけ原作者)に罪はない」という感情は理解しますし、翻訳契約上の不都合等もあるのでしょうが、私はそうした事情よりも、その作品に掲載された名前を見て、息もできないくらい苦しくなるスタッフの感情が大事です。
焼け跡で生きていく仲間のほうが大事です。

本記事は、一切の引用・転載を禁じます。
特にSNSへのURL掲載等は絶対におやめください。言いたいことがあるのならば私へ直接どうぞ。
ただし悪質と判断したクレームは全て弁護士を介して対応します。

※1 斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』2023初版第三刷、ブックマン社 p.2-3
書籍を購入するのが難しい方は、斉藤氏の記事もありますので読んでみてください。
斉藤 章佳 : 大森榎本クリニック 精神保健福祉部長「子どもへの性被害生む児童ポルノという引き金『個人のお楽しみ』で片づけていい話ではない」東洋経済オンライン、2019/12/13 5:50

※3 八木修司・岡本正子共著『性的虐待を受けた子ども・性的問題行動を示す子どもへの支援 児童福祉施設における生活支援と心理・医療ケア』2015年発行第三版,明石書店 p.14

※4 LGBTPZNとは?【ペドフィリア・ズーフィリア・ネクロフィリア】
https://jobrainbow.jp/magazine/whatslgbtpzn

……こちらの出典は、記事タイトルだけでは誤解する方もいるかもしれないので、冒頭のみ引用しておきます。

※2023年6月11日追記  本件記事につきまして、JobRainbow Magazineが「Q」に「PZN」が含まれると主張している、という悪質なデマが拡散されております。当該記事内で解説がされているように、「LGBTPZN」はポーランドで生まれ、PZNに対するネガティブなイメージを利用することで、LGBTの分断、差別を助長するために作られたワードです。本件記事がまさに、LGBTを批判、差別するために利用され、デマが拡散がされていることは誠に遺憾であり、悪質なものにつきましては、法的措置を行わせて頂きます。また内容について一部誤解をうむ表現がございましたので修正を行いました。

※5 2022 Trafficking in Persons Report: Japan
国連の人身取引報告レポート。仮翻訳は在日米国大使館と領事館のホームページで読めます。一部引用します。

「性的搾取を目的とする児童の人身取引というまん延する問題に政府は対応せず、商業的性行為が第三者によりあっせんされたのでない限り、日本の法律は商業的性的搾取を受ける児童を性的搾取目的の人身取引被害者として捉えなかったため、人身取引の法律の下で商業的性的搾取を受ける児童に関する事案を捜査、訴追しなかった。政府は2021年、少なくとも540人の加害者と408人の被害者が関与する「児童買春」を627件報告したものの、第三者であるあっせん者の関与の有無にかかわらず、加害者を潜在的な人身取引犯罪として訴追もせず、有罪判決も下さなかった。」
https://jp.usembassy.gov/ja/trafficking-in-persons-report-2022-japan-ja/

……当然と言えば当然なのですが、日本は2020年に、国際評価ランクを格下げされています(※6)

※6 ワシントン=大島隆「人身売買報告で日本格下げ 米国、技能実習生など問題視」朝日新聞、2020-6-26
https://digital.asahi.com/articles/ASN6V310NN6VUHBI006.html

※7 Wikipediaフリー百科事典(日本語)「チャイルド・マレスター」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC
記事リンクを開いて頂ければ分かりますが、「この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2010年8月)」と記載されています。

※8 奈良県「児童虐待の基本的理解」
https://www.pref.nara.jp/21721.htm

※9 弁護士仲岡しゅん(うるわ総合法律事務所)
「当たり前だが、ぺドフィリア的な欲求を内心で抱えているだけでは罪ではない。これは暴行や殺人などでも同様で、法は人の内面を裁けない。
しかし、それを実行すれば他者を傷付けるものである以上、それを表明すれば批判や警戒に晒されるのは当然で、社会的にも肯定できない。これを差別とは言わない。」X(旧Twitter),2023/8/30
https://twitter.com/URUWA_L_O/status/1696660786569994585

主要参考文献・推薦図書

  • 斉藤章佳著『「小児性愛」という病 ――それは、愛ではない』(ブックマン社、2023)
  • 八木修司・岡本正子共著『性的虐待を受けた子ども・性的問題行動を示す子どもへの支援 児童福祉施設における生活支援と心理・医療ケア』(明石書店、2015)
  • ランディ・バンクロフト、ジェイ・G・シルバーマン共著、幾島幸子訳『DVにさらされる子どもたち(新訳版)親としての加害者が家族機能に及ぼす影響』(金剛出版、2022)
  • イアン・ブルマ著、堀田江理訳『暴力とエロスの現代史 戦争の記憶をめぐるエッセイ』(人文書院、2018)
  • 武井彩華著『歴史修正主義――ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(中公新書、2021)
  • 吉見義明著『従軍慰安婦』(岩波新書、2014)
  • 長谷川まり子著『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』(光文社、2007)
  • 後藤健二著『ルワンダの祈り 内戦を生きのびた家族の物語』(汐文社、2015)
  • 太田季子、谷合佳代子、養父知美共著『戸籍・国籍と子どもの人権』(明石書店、1994)
  • 熊上崇、岡村晴美編著、小川富之、石堂典秀、山田嘉則共著『面会交流と共同親権』(明石書店、2023)
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